台湾人と日本人の考える「優しさ」の違い
お久しぶりです!!!そんぷんごです(^▽^)/
なんでこんなに更新してなかったのかと言うとただ一つ、忙しかったからです。
台湾留学してから今まで、毎日日記をつけていてそれを書くので精いっぱいでこっちのほうのブログを書く余裕がなかったのです。
今回やっと余裕が生まれて嬉しいです!!!
実は私、前のブログを遡ったらわかると思うのですが高校以来ぶりに台湾の友達と再会しました。
それでその子たちの家に2回ホームステイさせてもらいました。
その時に感じたことをつづりたいと思います。
台湾人と日本人にとっての「優しさ」が違う?
台湾人ってよく優しい国民性で、親日だねって言われるじゃないですか。わたしもそういう印象を抱いていまして、来台しました。
思ったのは、そのまんまです。
そのまんま優しいし親日でした。
(いろんな人がいます…中には優しくない人もいましたがわたしが思う大多数の方の話をします。このブログはあくまでわたしの少ない知識と経験から物事を語っているので偏見が沢山あると思いますがご容赦ください。)
でも、そもそも「優しい」ってなんでしょうか。
何をもってそれを優しいとするのかは人それぞれですね。
あくまで私が思う「優しい」とは・・・
・相手の立場になって考えることが出来る(思いやり)
・考えたことを相手のために行動に移せる
そんな人のことかなあと思います。わたしもこれができるように毎日頑張ります…
でも、その思いやりが
台湾人の考えるものと日本人の考えるもので違いがあるなって思ったんです。
もし、友達が家に泊まりに来たら・・・・
台湾人(わたしの推測です、すいません)
・家族みたいなもの
・なんでもやってあげたい
・よく人を家に泊める
日本人(わたしやわたしの家族)
・あくまでお客さん、距離はある
・やることとやらないことがある
・あまり人を家に泊めない
みたいな違いがありました。
わたしは台湾人のそのfriendlyさと距離の近さのお蔭でとても温かい気持ちになり、歓迎されているのが良く伝わりとても嬉しかったです。
でもちょっとしんどかったときもあって。
あまりにも「隙」が無かったんです。
自分の意志の入り込む隙、距離感の隙 どちらもです。
自分の意志の入り込む隙とは
自分でこれをやりたいとかここ行きたいとかやりたいとか そういうことです。
なんでもやってあげるというその「思いやり」「優しさ」がわたしを動けなくしてしまったというか。
なんでもやってくれることがだんだんと感謝から申し訳なさに、申し訳なさから束縛に変わっていきました。
例えばご飯の時。いわゆるおせっかいですね。
「(わたしの名前)、来来来、これはおいしいよ」「これもおいしいよ、たべて」
とても愛情が伝わってきます。
でもいつもそれに応えられるとはかぎりません。私自身胃が小さいのがあって食べるとすぐにお腹いっぱいになっちゃうし、たべすぎるとお腹が痛くなるたちで。
「もうおなかいっぱいになっちゃったの??なんで?」
「もっとたべ!!!!」
これがプレッシャーでいっぱいになりました。
距離感の隙は
「家族の一員」と思うか否か?です。
台湾人のホストファミリー的な人たちは
「家族の一員みたいに思って」と言って、まさにそれを実践するかのようにプライベートなことも聞くし何でもやってくれました。
でもきてちょっとしかたっていない、会って日がたっていないのに日本人の自分にはそう思えなくて、あまりにも近すぎるその距離が負担でした。遠慮したくなくてもしてしまうのです。
こんな感じで台湾人の方と日本人の考え方はこういうところに違いがあるんだなと身をもって体験しました。
ここまではちょっと負担だった経験を書きましたが、もちろんとってもいい点があります。
台湾人がこうやって外から来た人にオープンで沢山愛を注いでくれたおかげで、
わたしはこうやって
台湾を好きになって興味を持ったし、
台湾の友達と何年振りかにやっと会えたし、
台湾人とずっと付き合っていきたいぐらい台湾人を大好きになりました。
だからわたしが日本人として相いれなかった一部分は割と意外な発見であり、あとから見返すとおもしろくていい経験になりました。
なのでシェアさせていただきました。
台湾人の親切さは日本人にとってとても愛が大きくてびっくりする、それがたまにふたんであるけどやっぱりその違いも面白いな。そう思いました。
まとめ
実はわたし台湾に来るまでずっと自分は日本人だけど日本人にしては変わった考え方をしていて海外よりなんじゃないか、って考えたりしていたんですけど、今回のことでより、「自分の中の日本人らしさ」を感じたというか。
「めっちゃうち日本人やん!」って思いました。
長文読んでくださってありがとうございました!!!!!